Ⅰ 不審者
- RICOH RICOH
- 6月28日
- 読了時間: 4分
帰宅して、居間の壁時計を見ると16時
朝のうちに冷凍庫から冷蔵室に移しておいた肉の塊を取り出し
お米を研ぎ始める
物干し竿に吊るしたままの洗濯物を取り込み、
お風呂のスイッチをオンにする
キッチンからは、カツオと昆布だしのいい香りが漂ってきた
今日の献立は鮭カマと鶏むね肉とピーマンの中華和え
味噌汁の下ごしらえまで終えると、居間に座り込み
取り込んだ洗濯物を畳み始める
すべて畳み終えると、仕分けをして服の持ち主の部屋へ
運んでいく
いつもの台の上に畳んだばかりの服を置くと
当たり前のような自然な動作で、戸棚の端に立てかけている
スケッチブックを手に取る
当の本人に気づかれた時は、気味が悪い、悪趣味だと叱られた。
だが、そんな程度で改心できるほど容易い誘惑ではなかった
部屋の主本人に興味はない。何しろ、血のつながった兄妹だ
間違いが起きる筈もないし、そんな趣味も持ち合わせていない
彼女が興味あるのは、彼の隠している秘密だ
各界隈のゴシップ、スキャンダル、誹謗中傷…………
会った事も、話したこともない誰かの噂話を覗き見て
日頃の鬱憤を晴らす。町子(まちこ)にとっての唯一の気晴らしだった
その噂の源は、何を隠そう町子自身だったのだ
買い物に出た先で、ゴミ集積場で、あるいは町内会の集まりで
井戸端会議をする暇な主婦層を見かけると
愛想もなく、地味に通り過ぎる素振りを装いながら
盗み聞きをし、それをまた、根掘り葉掘り、ある事ないこと
大言壮語に捲し立て、ネタとして提供していた
メモしたスケッチブックは数十冊に及ぶ
だがいつの頃からか、兄は町子の言葉に何の興味も示さなくなった
そもそも最初から、頼んだわけでもない
町子が勝手に、好きでやっていたことだ
そんなある日、見つけたのが、真新しいスケッチブック。
兄が自分で買ってきたそれに、嫌な予感がして持ち上げた途端
挟んであった一枚のスナップ写真がひらりと落ちた
写真を拾い上げた瞬間、衝撃が走る
…純白のウェディングドレスに身を包み、美しく微笑む女性の姿…
その日を境に、兄の持ち物を徹底的に確認するようになっていった
汚らしい便所の落書きのようなゴシップネタばかり扱っていた兄の手帳からは
女性の日常を切り取ったような、穏やかで優しいスナップで
溢れかえるようになっていた
兄の身上に何があったのか。相変わらず、そこは全く関心がなかった
町子が執着したのは、被写体となった女性の素性だ
とくに最初に見つけた女性のウェディングドレス姿
気がつけば、何回も何十回も、繰り返し見続けていた
そしてあの時、ついに見つけたのだ
公園のベンチにひとり、腰かけている女性の姿を
興味津々で眺めていたら、やっぱり。
可憐な女性は誰からも放っておかれないのね。
声をかけた男性は女性の知り合いの様だった
彼女の額に手をあてて、覗き込む男性の素振りは
優しくキスしているようにも見えた
それから、女性の行動は常に監視するようになった
なにせ、影の薄い彼女。尾行するにも盗撮するにも
なんら支障はなかった
あれから少し日が経って、お腹がすこし膨らんだように見える
だが、彼女の隣にいる男性を見て、初めて町子は面食らった
…………え?あの時と違う…それどころかイケメン…
え、有名な歌手じゃない…???
どこの誰だか知らない人間が、どこの誰とつき合おうが
どうでも良いことだし、痛くも痒くもない
それなのに、未だに兄の部屋に入り込んでは、
隠してある例のスナップ写真を見続ける癖は治りそうにない
昔から、周囲から向けられる関心が薄く、
遊びにいこうと声をかけられることもなければ
わざわざ自分から声をかける勇気もなく
異性から誘われるなど、夢のまた夢だ。
両親は平凡なサラリーマンと専業主婦。
よく言えば奥ゆかしい、平たく言えば地味で目立たない
娘の婚期を気にする事もなく、見合い話が転がってくることも皆無だ
独立するきっかけを失ったまま、ずるずると実家暮らし。
ある程度、節制していれば、生活に困る事もなく
平凡ながら穏やかに暮らしていける
自分の境遇を卑下する事もないし
妙齢を過ぎた今、このまま人生の最期を迎えるんだろうと
達観すらしている
そんな町子に突きつけられた、一つの現実
それが、スナップ写真に写る、ウェディングドレス姿の女性だった
誰からも選んでもらえなかった、という現実が
女性に対する執着を生んだ
コメント