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A

  • 執筆者の写真: RICOH RICOH
    RICOH RICOH
  • 3月18日
  • 読了時間: 6分

 

「あなた…行ってらっしゃい」

 

ゴミ出しついでに、といった風情で

大きなビニール袋をさげながら、玄関まで見送りに出てくる女

 

女の手からゴミ袋を受け取ると

「じゃあ、行ってくる。今夜は少し遅くなる。

お前も少し、休みなさい。昨夜もあまり、眠れてないんだろ?」

 

妻の顔色を気遣う夫

 

外美子(とみこ)は穏やかに笑顔で応える

 

「そうね…でも大丈夫。Aの様子も心配で…

今日にでも、お医者様に診てもらいます」

 

理仁(りひと)は、リビングの奥の、閉ざされたままの襖を見遣る

「…だが先日も、診てもらったばかりだろ?

長時間待たされて、たった3分の診断で何が分かるんだ。

それよりも、ゆっくり休ませてあげたらどうだ?」

 

「…そうよね…あ、でも。お薬も切らしちゃったから

貰いに行かないと」

 

そう言ってため息をつく外美子。

 

「あまり、無理するんじゃないぞ。何かあったら、連絡して」

 

「はい。ありがとう、あなた…」

 

外美子は、家じゅうの窓を開け、掃除、洗濯、布団干し…

ひと通りの家事をしながら、時折襖を開けて、中の様子を窺う

 

(……)

 

あどけない寝顔でスウスウと寝息を立てるA

今のところ、よく眠れているようだ

 

生まれつきの虚弱体質は、私自身の遺伝だろう。

外美子も昔から、何かというとお腹を壊しやすく、特にりんごや桃、苺などの

果物を食べるとすぐに下痢をしてしまう

 

同じクラスの男の子たちには、給食のデザートを残す彼女に

「好き嫌いをしてる」「下痢女」などと、揶揄われ、女の子からは

面と向かっては言われないが、いつも遊びの輪の中に入りづらい雰囲気で

遠回しに煙たがられていた

 

なにかと体調を崩しやすく、病院通いが続く中

出席日数もギリギリで、高校進学も危ぶまれたが

かかりつけ医の紹介で、なんとか郊外の家政科専門学校に

進学できた

 

体調がすぐれないのは相変わらずだったが、その頃から

頭痛薬、抗アレルギー薬、風邪薬、咳止め薬、下痢止め、胃薬などが

手離せない生活が、もう長年続いている

 

ある時、貧血で駅のベンチで倒れ込んでいたら

通りがかった男性に声をかけられ、意識も朦朧とする中

ホテルに連れて行かれた

 

当然のように事が過ぎ去り、男性は名前も連絡先も告げぬまま

ホテル代を置いて出て行った

 

数か月後、妊娠に気が付いたが、お腹に宿る命を奪う事はできず

親にも内緒で出産した

 

幸い、手芸や刺繍のような細かい手仕事が好きで

料理や洗濯も得意な彼女。家政科で習った社会支援制度も可能なものは

片っ端から利用し、母子ひとりの生活もなんとか成り立っていた

 

 

人によっては、見栄やプライドが邪魔をすることもあるだろう

 

だが外美子は、そういった場面で

「大変ですね。頑張ってください」と声をかけてもらうことが

とても嬉しく、有難いと感じる事の出来るタイプだった

 

生まれた子供は、やはり彼女に似て虚弱体質で

すぐに熱を出しやすく、その都度、病院に駆け込む

医師や看護師に熱心にアドバイスを貰い、懸命に看病を続ける外美子

 

その頃出会ったのが、今の夫だ

理仁は、少し前に妻を病気で亡くしていた

死んだ前妻との間に生まれた女の子と父子生活を送る中

外美子と出会ったのだ

 

女の子の母親を欲していた理仁

それぞれの子供たちも自然と仲良しになり

自然な流れで一緒に暮らし始めた

 

家事が得意で、何もかも完璧に思える新妻

理仁の連れ子にも優しく振る舞う彼女と

やっと、人並みに穏やかに暮らしていける

そう思った矢先の事だった

 

「……」

 

なんだったろう…あ、そうだ

 

なにかを見つける

他愛もない、うっかりミスのようなものかと思った

それを叱るつもりではなく、こうだったよ、と伝えただけのつもりだった

 

その時は、外美子も「ごめんなさい、うっかりしちゃった…」と

笑い返した

 

 

その夜

急に腹痛を訴え出す外美子

テーブルの上には、りんご味のクッキーが置かれていた

 

「ごめんなさい…元々アレルギーなんだけど…

Bちゃんがプレゼントしてくれたのが嬉しくて、断れなくて…」

 

連れ子のBが継母と仲良くなろうと、

悪気もなく用意したプレゼント

無碍に断りBを傷つけたくないと思ったのは

仕方ないかもしれない

 

「…ごめんなさい。大騒ぎしちゃって…Bちゃんは悪くないの

叱らないであげて…すみません、ちょっと、トイレ…」

 

その日、結局トイレだけでは容体は落ち着かず、夜間救急搬送され

理仁とBは看護師から叱られた

 

不可解な事は、まだある

 

外美子が学生の頃から多量服用している薬のことだ

前妻と死別している経験から、Bは薬の袋を見ることが苦手だった

 

具合が悪いのなら、市販薬を多量服用するのではなく

診断を受けた上で、きちんと治すべきだ。お前ひとりの身体ではない。

AやBの母親なんだから、と、伝えた

 

それを境に、外美子が薬を多用することはきっぱりなくなった

 

その日のうちに、持っていた薬は全て処分したと言っていた

 

その頃からだったろうか…

 

例えば今日のように、帰宅が遅くなりそうだと告げた前の晩

 

 

必ずと言っていいほど、外美子ではなく

彼女の息子Aが熱を出すのだ

 

Bはすっかりトラウマになり

りんごや苺、桃などのバラ科アレルギーについて調べ

かなり詳しくなったと豪語していた

 

そうだ、不可解といえば…

 

Bが学校で何かの係に選ばれた、何かの賞をもらった…など

嬉しい報告を聞いた日は、必ず外美子か、Aのどちらかが

体調を崩すのだ

 

Aが病気がちなことで外美子も理仁もつい

Aの事に気が向きがちになるが

嬉しい事を報告して、ただ褒めてもらいたいBにとっては

自分の心を押し殺して我慢する、そんな事の繰り返しだったかもしれない

 

ある日、Bの通う中学の校長から理仁の元に連絡が入る

同級生にBがいじめをしている

その事が原因で、同級生は不登校になっている

今後の事で、いじめ被害者の親御様と話し合いをする

それとは別に、B自身にも話を聞いた

母親ではなく父親に、連絡してほしいというのは

B自身の強い希望だった、ということだ

 

いじめ被害者となった同級生の名前を聞いた途端

理仁はすべて理解した

 

理仁も、Bと同じで、彼女の言動に振り回されたおかげで

バラ科アレルギーについては博識だった

バラ科に関連する植物の名がついた女の子

それだけが、Bにとっての攻撃対象だったのだ

 

理仁は、仕事と偽り、外美子のことを調べ始めた

 

今日も、仕事というのは嘘で

多くの文献に触れる事で知った、ある事を確認しに行く

それが目的だった

 

血の繋がりがなくても、Aは彼にとって大事な息子だ

手遅れになる前に…



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