さくらの幻惑
- RICOH RICOH
- 3月3日
- 読了時間: 5分
更新日:3月11日
日曜日の朝
いつもよりゆっくり目覚めると、お日様はすでに高い位置にあり
世の中は活発に始動していた
下の娘は、期末テスト前の貴重な休日に
髪を切りに美容室に出かけて行った
作楽(さくら)は休みだが、洋輝(ひろき)は仕事で
しかも家でリモートワークの日
ガタゴトと準備する洋輝の傍らで、のんびりと着替えを済ませ
洗濯と拭き掃除を済ませると、食事をしながら
大好きな推しのラジオ番組を聞き始める作楽
(…(´∀`*)ウフフ…楽しい…♪)
職場で偶然、隣同士になったバイトの女の子から紹介されて
途端に沼落ちしたのだ
(…そういや、あの子、3月までだったわね…)
せっかく仲良くなれたのに…
だがひょっとしたら、推し活の中で再会できるかもしれない
そんな未知なる可能性に、年甲斐もなくワクワクするのだ
ラジオ番組を聞き終えると、簡単に身支度を済ませ
リュックに老眼鏡とエコバックを入れて、散歩に出かけた
折角のお天気で、いつも行く海辺の公園は気持ちが良いだろう
だが、今日は日曜日で、親子連れやカップルで賑わうはずだ
お散歩では、なるべく人のいない、静かな空間をチョイスするようにしている
家でリモートワーク中の洋輝に気遣い、出来れば長時間、滞在できる場所が良い
結果、川沿いにある図書館に辿り着いた
(…そういえば…)
ストック用の洗濯洗剤などの重たい物や、定期購入している化粧品など
宅配を利用する機会も多い作楽の家に
いつも届けてくれる蘭パンダ宅配便のお姉さんとは
顔なじみになり、たまに他愛もない世間話をする事もある
そのお姉さんから聞いた話を思い出し、それに関連する書籍を探し
空いている椅子を見つけて読み込んでいく…
あっという間に時が過ぎて、17時のメロディが流れている
作楽は書籍を元の本棚に戻し、帰り道に見つけたマーケットで
おにぎらずと黒糖饅頭と夕食用の食材を買って、家路に着く
なんの変哲もない、日常の繰り返しだが
こんな毎日の営みを作楽はとても気に入っている
でもそういえば、もう何年も、新しい恋をしていない…
彼女の周りは愛に満たされて
好きなもの、好きな場所、好きな相手で溢れているけれど…
「…あら?」
自宅マンションの手前で、少女がひとり、ぼんやりと佇んでいる姿に
作楽は不思議に思い、声をかける
「すぐに暗くなって寒くなるよ。おウチの人が心配するから
もうお帰りなさい」
作楽の呼びかけに少女は視線を合わさず、俯いたまま
ふっと消えた………………
(…あ、そうだったのか)
今に始まった事じゃない。
この手の類は、霊感の強い作楽にとって
わりと頻繁に遭遇する出来事だ
だからと言って、それが幽霊(=一度死んだ魂)とは限らない
今はまだ、現世に器を有していながら、何かしらのきっかけで
意識が外に浮遊してしまう、曖昧模糊な存在の場合もある
いずれにしても、目に見えて、話しかけれるほど
強いエナジーを持った存在に出逢ったのは、珍しかった
(…ごめんね、すぐに気が付いてあげられなくて…)
何かしらの助けを求めて、彷徨っている彼らの言葉を
正確に受け止められる能力は、作楽にはないのだ
大抵、少し後になってから、その事に思い至り
そのたびに申し訳なく思う
気を取り直して、作楽は玄関の鍵を開けた…
次の日
タワマンの13階西棟にあるオフィスで、バイトの女の子と仲良く
言葉を交わしつつ、諸々の雑務を済ませ、その日のシフトを終えると
1階のカフェに向かう
もうすぐ最後のシフトになるバイトの女の子と
軽くお茶でもしようと約束をした
作楽は通り過ぎるだけだったが、女の子がいつも行くという1階のカフェ
ちょっぴり楽しみでワクワクしていた
その時
エントランスに向かう間のオブジェに隠れるように、
こちらの様子を窺っている人影に気づき、作楽は驚いて足を止める
(…え?)
あの子だ。
昨日、自宅マンションの前で出会った、あの少女だった
そこへ、エントランスの自動扉が開き、ひとりの女性が入ってきた
フロントから自動扉に向かう女性に気が付き、笑顔で声をかける
「あら、凛子さん。」
「あ、百花さん♪お帰りなさい」
「凛子さんも、お仕事お疲れ様です…って、あれ?」
遠巻きに眺めてる作楽の足元をすり抜け、先程の少女が凛子に抱きつく
「花梨(かりん)…ごめんね、待たせたね」
抱きつく少女の髪を撫でて笑顔を浮かべる凛子
「…もしかして、凛子さんの娘さん?」
「そうなの…学校に行きたがらなくてさ。
仕事も抜けられないから、仕方なく付き合わせてるんだ」
そっと尋ねる百花に、困り果てた顔を浮かべる凛子
「大変ね…1人で待たせてたら危ない事もあるでしょう?
…良かったら、預かりましょうか?」
「!…えっ」
思いがけない百花の提案に、驚いてたじろぐ凛子
百花は少女の目線に合わせて少ししゃがみ、
優しい笑顔で見つめる
「花梨ちゃん、私のお部屋に来る?
お母さんのお仕事終わるまで、一緒に遊ぼうか」
「め…迷惑じゃない…?でも…そうしてくれると
すごく助かっちゃう…花梨、どうする?お願いする?」
「……」
少女は黙ったままだが、凛子の問い掛けに素直に頷く
「大丈夫よ。今日はオフだし。…よし!じゃあ、行きましょうか♪
凛子さんも一緒に来て?いきなりじゃ、不安になるだろうし」
そう言いながら、エレベーターで12階まで上がって行く
一部始終をただ傍観していた作楽は、すこしほっとして
歩き出そうとした
(…ねえ、あんずちゃん。あれが、かりんちゃん?)
(そうみたい。りーちゃまがおしえてくれたから…)
(ももちゃんといっしょに、いっちゃんもあそびたい♪)
(あんずだってー!…ここ、おへやがたくさんあってたのしそう♪)
作楽のすぐ横をぼうっと通り過ぎる、生暖かいオーラと
ちいさな囁き声が聞こえた気がした
作楽はいちど、大きく息を吐くと
いよいよ踵を返し、カフェに入って行く
不思議な事は数あれど、今回はきっと大丈夫
あの少女の魂も、きっと浮かばれる
漂ってくる梅の香りに、作楽は少しだけ涙を滲ませていた…

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